ジンクル創業メンバーの一人として、
チャレンジし続けた15年間。

スーパーバイザー 新藤


SHINDO

ジンクルのジャニーズ系筆頭。かつての奇抜な服装は鳴りを潜め、歳を追うごとに正統派へチェンジ。




1.「モテたい!」がきっかけ。今の社長との出会い。

専門学校生の頃、自宅の近所に芸能人がよく訪れるレストランがあったんです。「芸能人が来る場所で働きたい!」とか「もてたい!」といった下心いっぱいなレストラン業界へのチャレンジでした。
働いていたお店は平日でも毎日1時間以上待ちの大繁盛店で、最終的にはフロアマネージャーをやらせてもらっていたんです。その後新店のオープニングスタッフとして一時移動し、元のお店に戻った時に今の社長と出会ったんです。当時の小林社長はまだ肩書きもない一社員でしたが、スタッフ皆が忙しく料理を運んだりオーダーとったりしている中、レストランのホールに立って手帳を開き、各スタッフの適正を見極めようとする変な人でした。

2.海外へのチャレンジ

当時は「少しでも時間あればコーヒーのおかわり伺ってこい!」「急いでバッシング(退店後の食器等の片付け)行ってこい!」なんて文化でしたから、忙しい最中にも常に手帳を開きマネジメント視点でお店を見るという異質な文化を持ち込んだ人でした。当初は気にもしていませんでしたが、いつからかとても気になる存在になっていました。

そんな小林社長から「海外にお店を出すから一緒に来ない…?」と誘われたんです。まだ若かったので二つ返事で引き受けて気がついたらプーケットにいました。

3.まめぞう草加店の開店前後

プーケットでの奮闘のその後、社長の小林が日本に戻り「まめぞう」の開店準備に入ります。その後を追うように僕も日本に戻ったのですが、その当時の扱いはヒドかったですよ。「新藤は雇えないかもしれないけど、とりあえず日本に戻ってきてよ。」って。ちゃんと雇ってもらえましたし、当時僕も20歳。今となっては無茶してたよね~、って笑い話です。

まめぞう草加店開店当初、当時は黄身の固い味付け卵だったのですが、ある日小林社長がこう言うんです。「オレ、半熟卵がいい。半熟卵にして!」って。それからはひたすら毎日試作の日々。きっと1000個は卵のカラを剥いたと思います。今の半熟卵のレシピも当時のまま。そうやって試行錯誤しながら進んできました。

まめぞう草加店開店からは怒涛の日々が続いています。店舗数も社員も増えてブランドも増えました。会社らしくなってきて、社会的な責任も出てきました。日々責任とともに成長を感じています。

4.会社の目指すところ。応募を迷っているあなたへのメッセージ。

スーパーバイザーとして会社を運営する側にいるわけですが、今僕たちが目指すのは、中期目標としての30店舗。店舗数が増えればお迎えできるお客様の数も増えて、お客様の笑顔を増やすことができますから、必ず実現したいと思ってます。その実現にはやはり一緒に働く社員が必要です。

ジンクルではすべての社員に平等にチャンスがあります。まずは現場で力をつけてお店をまとめる力を養ってください。すべてはそこから始まります。

会社の待遇や将来に期待するだけでなく、自分自信にもたくさんの期待をしてください。新店の開店業務やブランド開発、メニュー開発、採用、育成など、出来ることが広がれば仕事も人生もより充実すると思います。